알지오[방송공지] 공지사항
2015-02-13|조회 1,527
今から10年余り前、日差しがとりわけ暖かく照らしていたある春の日だった。
故郷で作業をしていた時、母の家を通り過ぎた。
母は一人で縁側に座っていた。
私「お母さん、ところで一つ聞きたいんですけど。」
母「何かね?」
私「三番目のお兄さんのことです。私と8歳差だけど、私が7歳くらいからはぼんやり覚えていますが、その前はよく分かりません。何か思い出すことがあったら一つだけ話して下さい。」
母「お前の兄さんは変わってただろう?私も今は記憶がはっきりしない。
私が今も忘れられないことがある。
お前が4歳か5歳の時、たぶんお前の兄さんが12歳か13歳くらいだろう。
小学校に通ってた時だから。
ホントにツツジがきれいに咲いてた時だから、今頃だ。
お前の兄さんが背中にはふろしきをむすんで、息を切らしながら走って来たんだよ。
しきりに手の甲で汗をぬぐいながら。
それで私がどうしてそんなに走って来るのかと言ったら、
『お母さん!これ』
と言いながらにゅっと手を出すんだ。
それで『これ何?』と言ったら、
『お母さん、飴!』
と言いながら手を広げて、見たら飴なんだよ。
どんなに手でぎゅっと握り締めて走って来たのか、べたべたに溶けていたよ。
『飴、どうしたの?』
『お父さんの友達だと言って買ってくれました。』
『おや、これをどうして持って来たの?お前が食べればいいのに、これを持ってここまで走って来たの?あらまあ、この汗ちょっと見て。』
『これ弟に持って来てやろうと思って走って来ました。』
『弟にやろうと思ってそれを持って10里の道を走って来たのかい?』
「あの時の飴は金より貴重だったよ。50年くらい前だから。
今もここに売店がなかったら離れた町まで行かないといけないけど、その時は言うまでもないだろう。世の中良くなったよ。
今は飴が全然珍しくもないものだからか、最近はあっても食べないよ。
あのときの飴はまさに貴重どころじゃなかったよ。
今考えても、幼い子がどうしてそんなことを考えたのかホントに感心なことだよ。幼い子がどんなに食べたかったことか。
あの時私の心が、健気だとも思ったし、一方で胸が痛かったよ。
私が飴一つ満足に買ってやれなくて、幼い子が弟にやろうと思ってそれを持って走って来たと言うから。
たぶん飴が珍しくなかったら食べて来ただろう。
だからもっと心が痛かったよ。
お前の兄さんはそういうふうに生きてた。
兄さんは心が良すぎるのが欠点だよ。
他のことは非の打ち所がない。今も変わらないじゃない?
与えることが好きで。だから今は大きなことをしているんだよ。
大きなことをやってみるとありとあらゆることがあるだろう?
大変なことも多いし、心の痛いことがちょっと多いじゃないか?
それを誰に話す?
全部ひとり心に静めて生きているのを見たら心が痛い。
その痛い心を他の人は分からなくても母は分かるんだよ。
子供なのにその心を分からないだろうか。
だけど最後は限りなく良くなるだろう。耐えることが薬だよ。
耐えていれば全部解決される。
稲妻が走ったらどれくらい長く続くものか。
歳月が過ぎれば大きく笑う日が来るだろう。」
牧師先生の幼い頃の「汗で溶けた飴」の話は今も私の胸に生き生きと残っていて、険しい世の中を生きていく、私の心に積もったハンとわだかまりを、春の雪を解かすように解かしてくれる。
50年の歳月が流れたが、私が食べたその飴の余韻が今も舌先に甘く息づいているようだ。
私はまだ、この汗で溶けた愛の飴を食べた恵みを返せずにいる。
「与えなさい!もらう楽しみより与える楽しみのほうが大きいということを知るべきだ。
それを知っている人が本当に神様と主を信じて主の心情を知っている人たちだ。」
いつか食卓で仰った御言葉が思い出される。
私も隣人のために小さな飴を準備しなくては。
<第4回放送:牧師先生の弟さんより>