3文(もん)コラム by BON局長

BON局長がお届けする3文(もん)コラム!3文くらいの安っぽい文章の実力ですが・・・世の中の言葉で解いた主日の御言葉をアップします。

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行くべき狭き門

神様がつくったエデンの園(地上天国)も破壊するほど恐ろしい存在、サタンについて学んで知ってこそやられません。サタンは私たちが知らない分だけもっと働くからです。


サタンはいつも神様の言葉の逆を主張する存在だと言います。神様が「するな」と言ったら、サタンは「しろ」と言い、神様が「しろ」と言ったら、サタンは「するな」と言います。また神様が「霊」で言ったことを、それは「肉」に関することだと主張します。


すべての始まりについて教えてくれる「創世記」から、このようなサタンの計略は余地なく露わになっています。アダムとエバはエデンの園の中央にある果物を取って食べるなと言われたのに、食べるように言いながら、取って食べたら神様は「霊が死ぬ」と言ったのに、サタンは「肉は死なない」と誘惑しました。


肉を使って生きる立場で、見えない霊的な生活より目にも見えて肌でも感じる肉的な生活に流れていくことがはるかに簡単でしょう。実際にそれで多くの人が肉的な生活に偏って生きているのかもしれません。


「狭い門を入るよう努めなさい。滅亡へと導く門は大きく、その道は広くて入る人が多く、命へと導く門は狭くて行く人が少ない」


アンドレ・ジッド(Andre Gide、1869~1951)の小説「狭き門」を読むと、また考えが深まります。


主人公ジェロームとアリッサは、自他が公認するお互い本当に愛する間柄です。
ジェロームはアリッサに愛を告白して婚約まで要求しますが、アリッサは「私たちは幸福のためではなく、神聖さのために生まれた」という言葉と共に「神様の中で一つになること」に集中しようと言います。


ただ霊的なことに集中するアリッサは、この地での世俗的かつ官能的な愛を捨て、神聖で貞潔な狭き門を通して受ける救いに専念したいと思います。更には自分に対する愛がむしろジェロームの霊的な生活にも妨げになると判断して、距離を置くよう努力します。二人はお互いに愛し合いしますが、それを抑えて過ごします。結局二人は美しい愛を成就できず、寂しい結末を迎えます。


アンドレ・ジッド作者自身も、幼い頃から独り身となった母親の清教徒的教育方式についてたくさん苦しみ、深い葛藤を経験しました。作品の中のアリッサの苦悩は、作者が自分の姿をそのまま投影したのかもしれません。


作品を通してジッドは「霊的な人生」と「肉的な人生」のうち、どちらが優れているかに対する判断も、どちらか一つの選択も強要しません。しかしアリッサが選択した「狭き門」について、それほど高い点数を与えていないことも明確に感じられます。この本を読んで筆者も「もどかしさ」を感じて窮屈でした。


霊的なものを追求する人生と肉的なものを中心とする人生


両者の間での多くの葛藤をめぐって、鄭明析(チョン・ミョンソク)牧師はまず「霊」であり、成熟した後に「肉」であるべきだとあまりにも明確な解答を提示しました。


アダムとエバの場合も、彼らがまず成熟して、神霊な段階にあがるべきだったのに、神霊な段階まで行けない状態で肉が堕落してしまった事件が原罪の出発であると言いました。


「堕落」しなかったら「段階」を踏んで上がって行って神様の完全な御心(真理、時に合わせて)通りに行なうことで霊肉のバランスよく、どちらも完成した人生を送ることができたのであり、それが創造主の本来の意図、御心だったと言う話は本当に答えを提示してくれます。


私たちが入って行くべき「狭き門」は、霊肉のどちらか一つを選ぶことではなく、霊と肉をどちらも分かってその調和を完全に成し遂げる完全な人生です。


もしかしたら限りなく平凡に聞こえるか知れないこの言葉は、実際に創造の目的と堕落の本質を悟ってこそ知ることができる深い真理です。そしてこの真理を探そうとしたけれど見つけられず、知りたがったけれど知れなかったから、この門は狭くて行く人が少ないのかもしれません。

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날짜
2020/04/29