정명석 목사_정명석 목사

ソンマッ教会で熱心に祈ったエピソード

明け方のお祈りの時間が良かったと告白する鄭明析牧師


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 鄭明析牧師が通ったソンマッ教会



(韓国の)忠清南道錦山郡珍山面石幕里に行くと遠くに「ソンマッ教会」が見えます。鄭明析牧師は青年の時、ソンマッ教会を建てて、熱心に通いました。教会を建てる前にも考えましたが、そこまで熱心に通っていた理由は苦労して建て、心を砕いて頑張ったので使わなかったら損だと思ったからでした。だから教会を思う存分使いました。


鄭明析牧師の哲学は、どんなものも「思う存分使うこと」です。この哲学は大人になってからではなく小さな頃から持っていました。見れば、それを思い存分使うのです。使うことに対する価値性を幼い時から悟って行いました。


明け方にも行って使い、夜も教会に行って祈って使いました。13回教会に行きました。


日曜日から数えて、日曜の明け方、日曜の昼には礼拝を捧げ、日曜の夜にも教会に行き、1日に3回行きました。それは基本だと思ってしました。月曜の明け方、火曜の明け方、水曜の明け方、水曜の夜、木曜の明け方、金曜の明け方、金曜の夜にも徹夜をしに行きました。また集まりがあれば参加しました。

そして土曜の明け方、土曜日の夕方には中高等部の集まりに行ったので13回です。13回ほど通いました。


1度抜かしたら大変なことになると思って、1度も欠かしませんでした。欠かすことができませんでした。なぜなら鄭明析牧師は行かなければ待っている人がいたからです。


鄭明析牧師はその時のことを回想してこのように話します。「そのようにしながら、熱心に祈ったことが思い出されるけれど、特別なことより明け方の時間がもっとも有益でした。どの時間よりも明け方の時間について一番話したいです。明け方に来て祈ることがそれほどにも良かったです」



遅くまで、最後まで残って祈った鄭明析牧師


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 鄭明析牧師が祈る姿



鄭明析牧師は、1度祈り始めると夜が明けるのも分かりませんでした。


どんな祈りをしていたのか、夜が明けて日が昇るときまで祈りました。祈りの内容で思い出すことは、全ての人が神様を信じるようにしてくださいという、そのような祈りでした。


“なぜ信じないのか分かりません。いくら考えてみてもこのように神様を信じ、仕えて生きることは当然のことであって、あのように信じないで生きることは本来の御心ではないのに….”


人々も楽しく暮らし、鄭明析牧師も自分は楽しく暮らしていると言いますが、人々の人生と自分の人生を比べてみたりしました。

‘神様を信じて仕えたらもっといいのに…’

しかし信じない人たちは「教会に通うことの何がそんなによいのか? 私たちがどれだけいいのか分からないだろう。酒も飲んでみなさい。楽しく花札もして、夜が明けるまで遊んでみなさい。からから笑いながら喜んで生きているのをみなさい。あなたたちは教会に通って何がうまくいくのか?見せるものもないし、私たちの方がいい田んぼも森林地も持っているし、家もいい家を持っているのではないか? よく分からないね。一体」


村の人たちが鄭明析牧師にそのような話をする度に、考えました。


「確かにそうだけど」


しかしその時は「いい暮らしをするために教会に通うのか? 天国に行くために通わなきゃいけない。あなたは天国に行けない。私たちはいい暮らしができなくても天国に行く」と言いました。


人々が「死んだら全て終わりなのに、何があるというのか?」そのように言うので、鄭明析牧師が話して教えてあげても「やはり死んでみてこそ分かる。信じられない」という言葉だけが返ってきました。



結局環境がよくないから、鄭明析牧師は信仰の話に変えて言いました。


「神様を信じ仕えたら、将来うまくいく。私たちの人生がもっといい。また死んだら霊魂が確実にあることが分かるから、私たちの霊魂は天国に行き、あなたたちは地獄に行く」と話すと彼らは気分が悪いと言いました。

「地獄? お前たちが作った地獄だろう、地獄がどこにある? 人は一度死んだら終わりだ」

「終わるのなら、どうして先祖を拝して、祝福を願い、その死んだ霊を呼んだりするのか?」と言いました。


そして鄭明析牧師は皆が家に帰っても、最後まで残って遅くまで祈りました。今もソンマッ教会に通っている人たちの中で、昔通っていた人はあまりいませんが、昔鄭明析牧師よりも遅くまで祈った人はほとんどいません。まれに鄭明析牧師より遅くまで祈った人もいましたが、鄭明析牧師のように声を出して長い間祈った人はいませんでした。



祈りも何度もして、またしてみてこそ…




鄭明析牧師の「祈り」についての御言葉です。


「祈りも何度もして、またしてみなければなりません。
初めは何度も同じ祈りをすることでしょう。
くどくど言って終わらせず、祈って、また祈って、入っていけばいくほど祈りがうまくできます。
山を登るときも何度も登ってこそ山の頂上に至ります。
何度もして、またするのです」


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날짜
2018/03/27